みなさん、こんにちは。
No.12の久保侑生です。
新型コロナウイルスが再び流行し始めてきました。
一人ひとり感染予防に努め、感染拡大を防いでいきましょう!
さて、今回は私自身の生い立ちについてご紹介したいと思います。
私は1988年5月24日に生まれ、大分県大分市で育ちました。
小さい頃から外で遊ぶことが大好きで、野球やサッカーなどをして、毎日暗くなるまで遊んでいました。
小学校に入ってからは、硬筆、そろばん、サッカー、空手と多くの習い事をさせてもらっていましたが、4年生の時に2つ下の妹が友人に誘われたことをきっかけに、宮崎大輔さんと同じ大分市立明野北小学校でハンドボールの競技生活をスタートしました。
当時、周りの子より身長が大きかったこともあり、入部後すぐに勧められてゴールキーパーを始めました。
小学校5年生の時には、熊本県で開催されたシドニーオリンピックのアジア予選を観に行き、ハンドボールに日本代表があることを知り、その代表選手の凄さに憧れたことを今でも覚えています。
その後、明野中学校に入り、空手とハンドボールの両方を続けていましたが、中学1年生の夏にハンドボール一本に絞ることを決心しました。
中学3年生時は、トヨタ車体の渡部選手、ジークスター東京の新名選手と一緒に明野中学校男子ハンドボール部初の全国大会出場を果たし、全国大会デビューをしました。
中学校3年生の時には、フリースローと7mスローを打つ「2刀流ゴールキーパー」と一瞬話題になったりもしました。
高校は全国的にも有名な大分国際情報高校へ進学しました。
高校では、これまでの練習量とは比較にならない一日6時間の練習や年間でも数えるほどしかない休日と、とてもハードな毎日でしたが、全国大会優勝を目標に毎日努力しました。
しかし、高校2年生のインターハイ予選では20数年振りに県予選敗退という屈辱を味わい、その後、1年間必死になって練習し、3年時のインターハイでは、3位入賞することができました。特に、準々決勝の北陸高校戦は最後の最後までどちらが勝つかわからない激闘でした。(平子選手が北陸高校のスーパー1年生として出場しており、シュートを決められた後にパフォーマンスで投げキッスされたことは今でも忘れません……)
大学は教員免許取得のため、勉強とハンドボールの両立を考え、筑波大学に進学しました。入学した時には、フェニックスOBの田中さんが2つ上におり、プレー面で毎日勉強することばかりで、とても成長できたと感じています。
大学時代は1年生から3年生までインカレでベスト4に入ることができましたが、4年生時は2回戦で優勝した国士館大学に敗れ、悔しい思いをしました。勉強面では必死に頑張った甲斐もあり、無事に卒業することができました。
小学校から大学まで、嬉しい思いや悔しい思い、たくさんの経験をすることができました。
そして大学卒業後の進路は、小学生の頃からの憧れであり、高校生の時から声を掛けてくれていた大同特殊鋼に決め、現在に至ります。
みなさん、いかがだったでしょうか。
ここまで私のハンドボール人生を初めて振り返りましたが、とても懐かしい気持ちになりました。あと何年現役としてプレーできるかわかりませんが、1プレー1プレーを大切にこれからも頑張っていきます。
最後になりますが、今シーズンも日本リーグの開催が決まりました。
コロナ禍で、これまでの観戦形態と違った状況での開催となることも十分予想されますが、今シーズンも変わらぬご声援をよろしくお願いします。
さて、2007年から始まった週刊フェニックスが今回で「600号」に到達しました!
600号を記念して、普段から応援してくださっているみなさんの中から抽選で3名の方に、フェニックスの選手全員のサイン入りTシャツをプレゼントします。
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