みなさん、こんにちは。
『withコロナ』ということで、さまざまな制限がある中で、今できることに全力投球しているNo.22康本侃司です。
新型コロナウイルスが流行して、いろいろな方面で自粛が強いられていると思いますが、引き続き危機感を持って感染予防をしていきましょう。
さて、今回は【自分の生い立ちシリーズ】ということで早速、私の生い立ちについて書きたいと思います。
私は1996年4月19日に千葉県柏市で生まれました。
小学生の頃は塾にそろばん、水泳と毎日習い事をしていました。
そろばんを1番頑張っていましたが、今では掛け算と割り算のはじき方もわかりません。笑
2番目に頑張っていたのは水泳で、小学1年生から6年生まで続けていました。
康本家では小学生の間は辞められないというルールがあったからですが……。笑
ハンドボールを始めたきっかけは、小学6年の10月に父の母校に行ったことでした。たまたま、その時に松葉中学校のハンドボール部が練習をしていて、一緒にハンドボールをしました。小学生の自分が、中学生相手でも点が取れたということが嬉しくて、その日のうちに小学生のハンドボールチームに入団し、ハンドボールを本格的に始めることになったのです。
千葉県の中学校にはハンドボール部が少なく、特に私の住んでいた柏市には松葉中学校しかありませんでした。中学生の頃は、地引監督や池辺選手が卒業した「けやき台中学校」や小林アナリストが卒業した「手代木中学校」など、強豪中学校の多い茨城県に勝ちたいと頑張っていました。結局、勝てませんでしたが……。笑
高校では、そんな茨城の選手たちとプレーしたいと思い、茨城県の藤代紫水高等学校へ入学を決め、全国大会優勝を目指して頑張りました。
高校では、恩師である滝川先生にハンドボールだけではなく、人として一人前になれるように指導をしていただき、またU-16、U-19カテゴリーで海外の選手とも戦い、とても良い経験ができました。
春の選抜大会と国体では、同期の小澤選手と2度戦っています。もちろん勝ちましたが、今となっては同じチームでとても仲良し!
同じく同期の佐藤選手とは選抜大会で同じホテルに泊まっていたことがあります。佐藤選手は私のことなんて覚えていないと思いますけど。笑
今思えばこの二人とチームメイトになるとは思わなかったですね〜。笑
少し話が脱線してしまったので戻します。
高校卒業後は、伝統があり、よりハンドボールに打ち込める日本体育大学に進学しました。
日本体育大学では4年の時に副キャプテンを務め、インカレではベスト8でしたが、チームをまとめる大変さや勝つための努力を学ぶことができました。
日本体育大学卒業後は、ハンドボールと仕事を両立しながら最多の日本タイトル獲得数を誇り、伝統のある大同特殊鋼フェニックスでハンドボールをしたいと思い入社を決めました。
まだ2年目ですが、ポジションのコンバートや長いリーグ戦の中での試合など、戦っていく厳しさなど痛感しています。
以上!私の生い立ちでした。書きたいことは山ほどありますが、書き切れませんね。
今シーズンは来場者数の制限やリモートマッチなどもあり、去年のようにファンのみなさまに会うことは難しくなっていますが、今シーズンも全力で頑張りたいと思います。
応援よろしくお願いします!