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No. | 大同特殊鋼ハンドボール部 Phenix

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こんにちは。
今シーズンからルール改正により試合中のベンチと観客席との通信が可能になり、ヘッドホンとタブレット、PCを使ってベンチ外でも熱戦を繰り広げている、アナリストの小林です。

それでは、私も自分の生い立ちについて書かせていただきます!

1995年6月2日に生まれた私は、小さい頃から親の都合で何度も引越しを繰り返していました。
茨城県水戸市で生まれてから幼稚園に入るまでに北海道室蘭市、苫小牧市、札幌市と道内を転々としました。
幼い頃の私は、良く言えば人懐っこく、悪く言えばませている子供でした。祖父母の家に遊びに行って行方不明になったかと思えば、近所の農協でお茶とお菓子をご馳走になりながら、職員の方達とおしゃべりしていた思い出があります。
幼稚園児らしくない私でも、年相応に車がとても好きでトミカをたくさん集め、コレクションにしていました。しかし、ホイールの形であったり、内装や細部を作ったり、見たりするのが好きだった記憶があるので、やはり幼稚園児らしくはないですね……。

幼少期の小林

小学生になってからは、今の職に生きる原点ともいえるものに打ち込んでいました。
それは「将棋」です!
のちにアナリストを始めて、ハンドボールやさまざまな球技を学んでいくうちにボールゲームをチェスや将棋に例えるという考え方に触れた時、その経験と結びついて、分析や戦術を考えることが上手くいくようになっていきました。

ハンドボールは小学4年生の時に、筑波学園ハンドボールクラブという茨城県つくば市にあるチームで始めることになります。
「仲の良かった友達がやっていたから」というありきたりな理由で始めますが、最初はまったく上達せず、練習するのが辛かったことをよく憶えています。見かねたコーチが私をゴールキーパーにしてみたらチームで一番うまかったという縁から、やっとハンドボールの楽しさにのめり込むことができました。このクラブは筑波大学の学生がコーチを務めており、現フェニックスの久保侑生選手もコーチを務めていました。しかし、私が小学校を卒業する直前のことでしたので、久保選手からキーパーの極意は教われずに終わってしまいました。

高校3年時のインターハイ表彰(オレンジユニホームが本人・右端は現フェニックスの友兼選手)

中学校に進学してからは週に1回だった練習が週6回になり、練習をたくさん重ねるごとに上手くなっていく感覚を楽しんでいました。それなりにプレーも上手くなり、もっと強いチームに入って成長したいと思い、藤代紫水高校に進学することになりました。私の親は、最初は反対していましたが、不安を抱えながらも後押ししてくれました。
試合ではベンチスタートばかりでしたが、試合中のわずかな手がかりからどんなプレーをすれば良いかスピード感を持って考える経験が、今も私の中で活きています。
また、高校時代はハンドボール漬けの毎日とはいかず、勉強漬けの毎日でもありました。その甲斐あって早稲田大学に進学することができました。しかし、高校できちんと試合に出られていなかった私にとって、実力に見合っていない場所でプレーをすることになってしまったため、身体を作って差を埋めようとしたところ、焦って無理が重なり腰のケガをしてしまいました。
治療しながら中途半端なプレーをするぐらいなら選手を辞めて、以前から夢見ていた指導者としての道を歩みたいと思った私は、親や祖父母に支援をお願いしてクロアチアにコーチ留学しました。留学していた当時の話は、以前記事にさせていただいたのでお時間がある方はご一読ください!

留学以前から、高校時代の恩師 滝川一徳先生からアナリストの道を歩むことを勧められていた私は、早稲田大学に復学してからも藤代紫水高校でアナリストを続けてさまざまな経験をさせていただきました。

また、同時期に早稲田大学の女子ハンドボール部のコーチとしても活動していました。当時は自分ばかり苦労しているように思っていましたが、未熟な私に振り回されていた選手たちはもっと苦労していたのではないかと思います。私が大同特殊鋼フェニックスの一員としてタイトルを獲得し、あの頃の苦労が少しでも報われたと彼女たちが思ってくれればと願うばかりです。

早稲田大学のコーチ1年目の時の4年生(私の同期でもあります。)

お世話になった方々に恩返しできるように努めたいと思いますが、それと同じくらい私も誰かの夢や目標を応援し、好奇心をくすぐるような体験をしてもらうお手伝いを努められたらと思います。

最後になりますが、今シーズンは会場での観戦に制限がかかっているため、JHLTVを通して応援をしていただく方が多くいらっしゃると思います。
画面越しでも団結したフェニックスの雰囲気が伝わるような試合ができるよう、選手のサポートに尽力しますので、どうか応援よろしくお願いします!

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