みなさん、こんにちは!今1番旬な男、No.17の瀧澤尚也です。
26歳になり、4年目に突入しました。今しかできないことを全力でやってやろうと思いながら最近過ごしているので、仕事もハンドボールもプライベートもノリノリです!笑
※ノリノリ…勢いがあるという意味だと思ってください。
そんなノリノリな26歳瀧澤に、【生い立ちシリーズ】がやってきました!前作で「瀧澤の成長日記」「私の学生時代」を書き、小学生・中学生時代の紹介をしたので、今回は「とても貴重な幼少期」、そこからぬくぬくと成長した「高校生の私」のことについて、次の3つのテーマに沿ってご紹介したいと思います。
1.ハングリーなお祭り男
2.キャプテン瀧澤
3.一人暮らしのタッキー
私は1994年4月14日に群馬県で生まれました。生まれた時の体重は4136g、身長は53cmでした。これを聞いた時は、思っていた以上に大きすぎて、自分でもびっくりしました。立派な身体で産んでくれたお母さんに感謝ですね!
今はこんなに大きい私ですが、小さくてかわいい時代(リトル瀧澤時代)がありました。そんなリトル瀧澤が1番好きだった行事があります。私の地元「富岡市」は、市主催の大きなお祭りから神社で行われる小さなお祭りまでたくさんのお祭りがあり、夏から秋ごろにかけてとても賑わいます。
よく家族でお祭りに行き、屋台の前で両親に「これ食べたい!」と言って屋台を走り回っていたらしいです。帰るころには、手元に「たこ焼き」「綿あめ」「お好み焼き」のゴミを持っていたそうで、お祭りというより完全に屋台が目当てのハングリーのお祭り男でした。
リトル瀧澤は、この頃から食いしん坊の頭角を現していました。群馬県の大自然の中でぬくぬく育ち、この小さい頃の姿が薄れるほど大きくなっていきました。
次のテーマ「キャプテン瀧澤」に話を進めたいと思います。前回の「私の学生時代」で記載した中学生時代を経て、群馬のハンドボール強豪校である富岡高校へ進学しました。
私の中で高校生活の3年間が今の私を作ってくれたと思うほど、お世話になった顧問の岡田先生と栃谷先生、そして先輩・仲間に支えてもらいました。1年生の頃は、先輩の走りやフィジカルについていけず、自分が情けなく思い、つらかった思い出があります。そんな思いを持ちながら毎日トレーニングに励んでいると、2年生になった頃にはしっかりと身体もできてきました。そして通常の練習においても、ただついていくのではなく、後輩をしっかり見ながら練習を引っ張っていました。そして3年生では、先生からキャプテンを任されました。
先輩たちの意思を継ぎ、張り切ってやっていましたが1人では何もできなく、周りに支えてもらってインターハイ、国体を戦い抜きました。現在では共学になっていますが、私が在籍していた頃は男子校で漢(おとこ)ばかりの環境で、暑苦しいくらいに熱い高校生活を過ごせました。
そして最後のテーマ、「一人暮らしのタッキー」(「借りぐらしのアリエッティ」風)。
大学でもハンドボールを続けたいと思ったリトル瀧澤は、一段と成長したいと思い親元を離れ、明治大学へ歩みを進めました。そして、明治大学に入学して初めての一人暮らしというものを始めました。親がいる環境に慣れていたので、炊事・洗濯・掃除をするのがどれほど大変なのかを思い知りました。特に、初めての料理は難しく、自分が好きなものばかり作っていたせいもあり、「究極に美味しそうなオムライス」が作れるようになりました。
また、全国のいろいろな強豪校からきた仲間や、大学でできた友人との出会いのおかげで、いろいろなことを経験できました。一段と成長することができた有意義な大学生活を送ることができました。大学ハンドボールをしながら就活をしていると、大同特殊鋼から声をかけていただき、自分が大好きで続けてきたハンドボールがまたできるチャンスをもらったので、大同特殊鋼に入ることを決めました!
これが、リトル瀧澤から旬な瀧澤に至るまでの生い立ちになります!
最後に、コロナ禍でもハンドボールができる環境に感謝し、大同特殊鋼Phenixとしてチーム一丸となり、日本一に向けて一戦必勝で戦っていきたいと思います。
皆様からの温かいご声援よろしくお願いいたします。