みなさん、こんにちは!東海市で生まれ、東海市で育ち、東海市に愛された男、その名は……大同特殊鋼フェニックスNo.15原田です!
早速ですが、私の生い立ちについて紹介したいと思います。私は1994年4月16日に、原田家の長男として東海市に生まれました。小さい頃から体を動かすことが大好きで、毎日、親とボール遊びをしていました。親は、私にプロ野球選手になってほしくて、常にボールを触らせキャッチボールをしたり、バッティングセンターに連れて行ってもらったりしていた記憶があります。(夢を叶えられなくてすみません。笑)そのおかげもあってか、肩の強さはもちろん、体力測定には自信があり、小学校・中学校・高校と常に一番だった輝かしい時代が懐かしいです。(ただの運動おバカだったかもしれません。)
私は、小学校に入学する前に隣の町に引っ越しをしたため、当時、誰も友達のいない寂しい入学となったことが、私とハンドボールとの出会いのきっかけになりました。初めての友達からの「ハンドボールを一緒に体験しに行ってみない?」という誘いから、原田のハンドボールライフが始まりました。小学校にハンドボール部がなかったので、部活動では卓球部に1年とバスケ部に2年間所属していました。部活が終われば、毎週木曜日に東海市民体育館に向かい、東海ハンドボールスクールで熱心にハンドボールに取り組んでいました。
小学3年生から始めたハンドボールは、最初は本当に楽しくてワイワイやっていたのを覚えていますが、学年が上がるにつれてだんだんと結果を求めるようになりましたが……(わかる人にはわかると思いますが)、本当に楽しかったです!全国大会に出場したもののベスト8の壁を3年間超えることができず、悔しい思いをしました。この悔しい思いは中学で晴らそうと誓ったのを覚えています。
中学に上がり、スクールの先輩方はいましたが、指導者がいなくてなかなか結果を残すことができませんでした。自分が上級生になった時にこれじゃダメだなと思い、東海ハンドボールスクールでやっていた練習を自分なりに応用を利かせて練習メニューを考え、取り組んでいたのを覚えています。その甲斐もあり、激戦区といわれる愛知県で2位まで上り詰めましたが、あと一歩が届きませんでした。
次こそは全国大会に出たい!と思い選んだステージが大同高校で、勝つために!と思い強豪校を選択しました。正直苦しいことの方が多くて辞めようと何回も思ったこともあります。良かったなと思うのは、高校時代に体の基盤をしっかり作ってもらったことです。中学から体つきが一気に変わり、一時はゴリラと呼ばれていたこともあるくらいガッシリしていました。そのおかげで、小さいながらも今の自分があるかなと思います。
加藤選手がいた愛知高校は、クセのある「エホーイーハー」という掛け声をアップ中に出していましたが、私がいた大同高校は、クセのある「ユーハーユーハッハッハ」という言葉をアップ中の掛け声として出していました。意味は、優勝(ユウショウ)のユーと制覇(セイハ)のハーを組み合わせているそうです。当時は、結構迫力がありカッコいいなと思っていました。アップ中の掛け声で相手チームに負けないよう、密かに競っていたのもいい思い出です。結果的には、大同高校初の春の選抜ベスト16という結果を出すことができましたが、インターハイには一度も出ることができず、またまた悔しい思いをしました。
次こそは結果を残したい!という気持ちで大同大学に進学しました。自分のスタイルにマッチして、とても充実したハンドボールができたと思います。個人的には、高校時代の憧れであったカテゴリー別日本代表にも選出され、ブラジルで開催されたジュニアの世界選手権(観客が4000人くらい?いました)やスペインで開催された世界学生選手権にも参加し、とても貴重な体験をさせていただきました。あの時の光景は、今も忘れない一生の宝物です!また、チームとしては環境・指導者・同期・後輩・保護者のみなさんのおかげもあり、大同大学初の全日本インカレ3位という結果を残すことができました。しかし、またまた日本一には届かず……。
最後のハンドボール人生、日本一を取って終わりたいと思い、伝統ある大同特殊鋼に入社しました。みなさん、気づきましたか?私のハンドボール人生は、すべて大同ファミリーで形成されていることに……。こんな幸せなことはないと思うので、結果を残せるよう頑張っていきたいと思います。入社以来、まだ1度しか日本一を経験していないので、2度3度経験できるよう頑張ります!
社会人になってからケガが多く、満足するプレーができていませんが日々の努力を怠らず、日々精進していきます!今シーズンはリモートマッチが多いかと思いますが、観戦している方に勇気や元気を与えられるプレーをしていきます!
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